阪神淡路大震災に被災し、当時兵庫県職員で現在助産師の立山サナミさんにインタビューを行いました。

私は長年、県立の看護学校で教員をしていた経験があります。特に、看護教育がどのように変わってきたか、また震災を通じて感じたことを振り返ってみたいと思います。
目次
- 看護学校教員として
- 震災の経験
- 教訓として
- 結論
インタビューの様子はYouTubeにてご覧いただけます。
看護学校教員として
昭和40年代に、私は看護学校で教鞭を執り始めました。その当時、看護師の養成は非常に実務重視で、実習の中では患者との触れ合いが重要視されていました。多くの看護学生は、高校卒業ではなく、中学卒業後に専門学校に通っていました。そこで、実際の現場に近い形で教育が行われていたのです。
当時、看護師の仕事は「病院での診療行為」ではなく、「生活指導」としての役割が大きいという点です。患者がどのように生活していくか、その支援をすることが看護師の本当の仕事です。そのため、患者の基本的なケアに加えて、生活面での指導やアドバイスが求められました。これは、医学的な知識だけでなく、人間としての温かみも必要とされる大切な部分です。
しかし、最近の看護教育は、学問体系に偏りがちで、実務的なスキルや心構えが薄れてきていると感じています。かつて教えていたようなベッドメイキングや、患者とどのように接するかという基礎的な部分が、今ではほとんど教えられなくなっています。看護の現場で何が重要なのかを、災害時の備えとしても今一度見つめ直さなければならないと感じています。
震災の経験
1995年の阪神淡路大震災の際、私は自宅が倒壊寸前となり、命を落とすかもしれないという瞬間を体験しました。あの時、私は自分の命を助けてくれるものが「ほんの小さなもの」でした。家が揺れ家具やピアノが倒れてきた時、ピアノの前にあった小さな椅子が、偶然にも私の命を守ってくれました。
震災の直後、外に出てみると、多くの人々が不安と恐怖の中で困っていました。負傷された人に処置して欲しいと言われ、私は何も持っていなかったところ、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが赤ちゃんを包んでいたタオルを差し伸べてくれました。その時、母親であることの強さや、大切なものを守るという責任感に心を撃たれました
教訓として
震災を通じて学んだ最も大きな教訓は、「人のために尽くす」ということです。私はその後も、妊婦や育児に関するサポートを続けており、赤ちゃんの育て方や育児の伝承が今の世の中で失われつつあることに危機感を感じています。例えば、抱っこ紐の使い方を指導することで、少しでも楽に育児を進められるようにサポートし育児相談に応えています。
私自身、85歳になった今も現役でお産の現場に携わっており、人間としての温かさや、困っている人を助けるという心のあり方が大切だと強く感じています。
結論
看護の仕事において最も大切なのは、「人間らしさ」を忘れず、どんな状況においても他者を思いやる心を持つことです。実務的なスキルや学問的な知識も重要ですが、それだけでは患者の本当のケアにはつながりません。私たちが教えるべきは、心のケア、そして命を大切にするという心構えです。
これからの看護教育が、もっと実践的で、人間的な成長を重視したものになることを願っています。私もその一助となれるよう、今後も努力を続けていきたいと思います。